あなたには間違いなく、「才能」があります!!!!
皆様こんにちは、子どものための漫画教室講師を自称する あかいで みく でございます。お元気ですか。
このブログは、若かりし頃に漫画家を目指して雑誌に投稿を繰り返していたワタクシが、今現在漫画家を目指して奮闘している・もしくは漫画を描くことに興味のある若者とそのパパさんママさんを全力で応援するためのブログです。
ので、ここに来てくださる方は漫画家を目指している方かそのパパママだと嬉しいなと思っているのですが、今のとこ一番熱心な読者はワタクシのようですよ。ははは。
子どもたちの「将来の夢」ってたまにテレビとかでも見かける楽しいトピックスなのですが、人気上位にランクインしている職業はその時代を反映していて「なるほどな」と思ってしまいます。
最近では人気があるのは「ユーチューバー」だそうですね。
わかるわ。
楽しそうだもんね。
ちなみに私がまだ大学生だった時分に、小学生に人気のあった「将来の夢」ぶっちぎりでトップだったのは「フリーター」だった。
それは職業と言っていいものだろうか。
少なくともユーチューバーよりは実現がし易そうではあるが。
そんな感じでそのときそのときの世相が反映されている「将来の夢」ですが、漫画家やイラストレーターなんかの職業も相変わらず人気があって、やはり嬉しいというかどこかほっとします。
世代が離れれば離れるほど、噛み合わなくなりがちなお互いの感性だけれども、昔と変わらない部分もあるんだなと思うと、なんかね。
だって、子供ってほんと小さな頃からテレビ観て絵本読んでお絵かきして…ってことやってますから、そういうことが好きな子供もいっぱいいて当たり前ですよね。
そんな感じで私がまだ若かりし頃も、雑誌に漫画を投稿して賞をもらったりしていることを話すと、けっこうな数の人が
「私も漫画家になりたかったんだ」
と言ってくれました。
でも、そういう人たちの大半は、そのあと判で押したようにこう言ったもんです。
「でもお話とか作れなくて、無理ーとか思ってやめたんだー」
つまり、「漫画家になってみたかったことはあったけれども、実際に漫画を描いたことはない」のです。
もう本当に、ほとんどの人がこんな感じでした。
中学生のとき、私がペン(Gペンとか漫画用の)を使って漫画を描いていることを知ったある同級生が、「あなたがなりたかったのはデザイナーじゃなかったの?(←小学校の学級文集かなんかにそう書いたことがあった)私はもっと前から漫画家になりたかったんだけど」などと言ってきたことがありました。
だからなんじゃいと思ったのですが、彼女とはそれをきっかけに仲良くなり、お互いに描いた絵を交換したりなどするようになったのですが、私はその後も彼女の漫画を読んだのはたった一度きり、16ページもない短編一作のみでした。
それくらいね、みんな、描いてません!!!!!!
「漫画家を目指している」という人間の多くは、漫画家になれません。
どんなに好きでも、実力が及ばなかったり、時代の波にうまく乗れなかったりして、描くことをあきらめてしまう人はやっぱり多いです。私もその一人でした。
そして「漫画家になりたい」という人間の多くは、漫画家にはなりません。
ていうか、漫画描いてません。
なんとなく、なれたらいいな~と思っているだけで、話を作ることもなければ、キャラクターの絵を紙に描いてみることすらしません。
そんなもんです。
そして身も蓋もないようなことを言うようでアレですが、「漫画家になりたい」という人間の多くは、漫画家になる必要はありません。
ええ、ならなくてもいいんですよ。
それは、「そんなやる気のねえ奴が漫画家になれるわけねえだろ!退場!!」とかいうことでは全然なくって、先に書いたような「でも絵描けなくて無理ーとか思ってやめたのー」とか言っちゃうひとたちには、描くことが必要なかっただけということです。
そういう人はこれもまたけっこう簡単に「あたし才能なくってー」などと言ってくれますが、それは漫画を描く才能がなかったというより、その人の才能は別のところにあったということです。
「才能」という言葉はなんというか厄介なもので、たとえば漫画を描くことに関していうと、みなさんこの「才能のある人」というのを「生まれたときから何の苦労もせずに上手な絵が描けて、面白い話がぽんぽん思い浮かんでしまう人」かなんかだと思っているようですが、そんなひとがいるわけねーじゃねーですか。
私も今でこそそこそこ描けるようになり、「絵が上手い」などと(全く描かないひとに)言われるようにもなりましたが、別に小学生時分から大人顔負けの整った絵が描けたわけではないです。あたりまえですが。
私は私の娘をなかなかに絵が得意な5歳児だと思ってはいますが、そんな娘の絵だって別に 上手なわけではないです。
自分なりに興味を持って、いろいろなものに挑戦しながら描いているので、どんどん進化しているとは思いますが、それにしたって5歳児の絵でしかありません。
まあ、どへたくそですよ。やっぱり。
「〇〇〇ちゃんは絵が上手ですね~」と言われもしますが、そんな娘だってぐちゃぐちゃの殴り書きから始まって、何を描いているのかよくわからんアメーバみたいなものをアンパンマンだと言い張っていた時代があったわけです。
始めから上手いひとなどいません。
みんなアメーバから始まっています。
いやもう、アメーバ以前の「線」みたいなところから始まっています。
今現在2歳の息子がそんな感じ。「アンパンマン」と言い張っているこれ…線だよね!!?丸くすらないよね!!?みたいな。
みんなスタートはど下手、アメーバ以前からなのです。
なのになんでか「あたし才能なくってー」と言うひとは、「才能のある人」にはアメーバ以前の時代がないように思っているのです。
んなわけないじゃないっすか。
私は今でも自分の絵をど下手くそだと思っていて、「目が潰れる!!」「馬鹿死ね!!」「こんな下手くそに漫画習いたいひとなんていねーよ!!」と思ってしまうのですが、投稿時代も本当に下手くそで、投稿ページの批評ではとにかく絵が下手絵が下手と(ソフトな表現ではあるものの)さんざん言われてきたものです。
でも上手くなりたかったから、めちゃくちゃ練習しました。
もちろん今でも自分が望む域にはまるで達していないのですが、それでも練習の甲斐あってか、そこそこ絵を褒められるようになったのです。
「才能」というのは、「生まれたときから何の苦労もなく何かができること」ではありません。
ある「なにか」に関してはなぜだかめちゃくちゃ頑張れる、いくらでもやってしまえる、そういうジャンルがある、そういうものでしかないと思っています。
上手くなるかどうかは、本当にそのあとのこと、その人がどれだけ頑張れるかということでしかないので、「才能があっていいね」と言うこと自体がナンセンス。
しかしこれまた厄介なのが、子どもの頃ってみんな「プレイヤー」になることを目指してしまうじゃないですか。
野球が好きなら野球選手、お菓子が好きならパティシエ、絵が好きなら画家、みたいな。
それは子どもであるがゆえの無知によるものなのですが(そもそも世の中にどんな職業があるのかまだあんまりわかっていない)、そういった「プレイヤー」になれる人のみを「才能のある人」だと思ってしまうんですね。
でも、これ、違います。
野球が好きでも選手になるよりも選手をサポートすることの方が好きで向いている人もいます。そういう人はコーチになったりトレーナーになったりマネージャーになったりしておもいっきり自分の「サポートの才能」を発揮すればいいだけのこと。
あるいは、選手の側にいるよりも観客として観ていることの方が好きで、試合に行くことが楽しくてたまらないならしょっちゅうスタジアムに足を運んで野球ファンとして野球界を根底から支えてみたり。
でも、なぜかみんな、そういうものを「才能」と呼びません。
表舞台で脚光を浴びている、選手とか、俳優とか、作家とか、そういう「プレイヤー」だけを「才能のある人」と思っています。
だから「漫画描けないー」「あたし才能ないー」なんて言っちゃったりして、まあそれは「漫画に関して」という文脈があるからまあいいとして、時には「才能があるひとはいいよねー」なんて言ってしまいます。
もうね、ほんとね、それ、大いなる勘違いですから!!!!
最初から上手な人はいない!!!!
プレイヤーになれるひとだけが、「才能のある人」ではない!!!!
誰にも、誰にでも、どこかに「才能」があります!!!!
絶対に!!!!
ただ、それをあまりにささいなことだと自分で評価していなかったり、それにぴったりくる職業をまだ知らなかったり、あるいはそれがまだこの世に存在していなかったりするという、それだけのことなんです。
だから私は、「漫画家になりたい」というひとの大半は、「漫画家になる必要のないひと」だと思っています。
「描けないー無理ー」というひとは、漫画ではないところ、あるいは漫画というジャンルではあるけれど「描くこと」ではないところに才能があるという、ただそれだけのことです。
「漫画描けないー無理ー」と思ったら、あとは「じゃあ何なら自分は夢中になれるのか」、「今は下手くそでもそんなことどうでもいいくらい頑張れるのはなんなのか」全力で探せばいいだけです。
だから、私の開催する(予定の)漫画教室も、漫画を描くための技術を教えはしますが、生徒さんたちのすべてが漫画家になることを目指す必要はないと思っています。
漫画の技術を習ってみて、眠っていた才能が大開花して長じて人気作家になった…というならそれはそれで素晴らしいことではありますが、「なんか違うかも」「それほど描きたいわけじゃなかったみたい」と気づいて、漫画を描くことをすっぱりやめてしまっても、それはそれでいいんです。
と、いうか、それはむしろ「おめでとう」です。
だって、「漫画、なんか違うかも」と気づけたひとは、すでに自分の本当の才能を探すきっかけを手に入れているわけですから!!!!
そのひとの「本当の才能」を生かして生きていける人生は、本当に素晴らしいものだと思います。
私も、作家になる才能はなかったけれど、むしろ自分の作品を作るよりも、文章を書いたり講義をしたりして誰かに技術を教えたりすることの方が好きで楽しいのだと、漫画家をあきらめる経験から知ることができました。
だからね、ならなくてもいいんですよ、漫画家。
本当に身も蓋もないようですがね。
でも、だからこそ、今、ほんのちょっとでも「お話作ってみた」「キャラの絵描いてみた」「誰かに読んでもらった」なんてひとがいたとしたらね、それ、すごいことなんですよ!!!!
ほとんどの人は、「漫画家になりたい」と言っても、絵も描かなければお話も作りません。何もしません。
だからこそ、ほんの少しでも「何か」したひとは、もうそれだけで、すごい才能があります!!!!ありまくります!!!!
それは小さな一歩ですが、その「ちょっと描いてみた」「作ってみた」と「描きたいとは思っているけど何もしない」との間には、ものすごい大きな谷間があるんですよ。
ほとんどの人が越えられないそこを、あなたは越えたのですよ!!!!
すげーーーーーーーーーー!!!!!!
あなたの勇気と情熱を歓迎します。ようこそ。
この先あなたがどんな道を進むことになろうと、あなたがあなたらしく生きられる、「本当の才能」に目覚め、それを生かして幸せな人生が送れますように。