先生、うちの子漫画家目指すとか言ってんですけど!!?

子どものための漫画教室講師 あかいで みく が、漫画家を目指す小中学生とそのパパママを全力で応援します!!!!

どもども皆様、お元気ですか。毎日暑いですねえ。

毎度おなじみ、子どものための漫画教室講師 あかいで みく でございます。

 

えー、今日は昨日の続き、補足再び、ですね。

前回は気楽に描けて楽しい、「ノート漫画」におすすめの紙を紹介しました。

で、今回はそれよりちょっとステップアップした中級者?向け??の、

 

ネーム用の「紙」

 

についてお話しようと思います。

前回も少し触れましたが、その部分も含めてもうちょい詳しく書こうと思います。

 

ネームというのは、漫画を原稿用紙などに(雑誌やWebに掲載するために)描く前に、何をどういうふうに描くのかを決めるための下描きのことです。絵コンテとも呼ばれます。

いきなり原稿用紙に描き始めると、ページ数が足りなくなったりしますから、ちゃんとその前の段階で、絵やせりふなどの内容を決めておくわけですね。

 

気楽に描き散らせるノート漫画と違って、ネームは原稿用紙に描くことが前提となったものですから、「ネームを切る」(=ネームを完成させる)という作業は、一度描いたものを何度も読んでは描き直す、というものになります。

ページ数が足りなくなれば無駄な部分をばっさり切り捨てなくてはならないし、見せ場にページ数を割くためにその他の部分を調整したりと、一度描き終わったと思えるものにも細かな修正が入ります。

 

で、こういった「ネーム」の作業に向いているのは、B5サイズの方眼レポート用紙です。

 

別に前回紹介したルーズリーフでもいいんですが、ネームは修正することが前提ですので、ノート漫画のように紙の裏表に描いていては非常に「直し」がやりにくくなってしまいます。

また、ルーズリーフは穴の位置でページが右か左か決まってしまうのですが、ネームでは「このページまるまる削除!!」なんてことが起こりがちなので、最初右ページ(2・4・6…などの偶数ページになります)として描いたページが左ページ(1・3・5…などの奇数ページ)に変更になる、ということはしょっちゅうあるわけです。

そういうときに、ルーズリーフのように紙に裏表・右左があるものはちょっと使いにくかったりします。

そういう場合はたとえば右でも左でも、穴の位置を固定して、ページに左右の区別がつかないようにしたうえで、紙の表だけに描く、というふうにした方が、一見もったいないようですが後々の手間を省くことができます。

私はそういうのが面倒くさいので、ネームははなからレポート用紙に描いていました。

私が投稿をしていた頃は、これまた ダイソー でこの方眼レポート用紙を買っていましたが(なんせ安くてたくさん入っていたので)、方眼の線が濃くて絵の邪魔になるので、紙を裏返して使っていました。紙が薄いので、表の方眼がちょうどよく透けて使いやすくなりました。これも工夫ですね。

今は ダイソー のレポート用紙、どれくらいの品質になってんだろ??

今度試して報告しますね。

 

レポート用紙はばらばらになってしまうので、ちゃんとページ数(ノンブル)を振りながら描くのですが(規定枚数に収めるためでもある)、それも左ページと右ページで区別せず、右ページも左ページも右肩に統一して振っていました。これも左右が入れ替わる可能性があることを考慮してのことです。

方眼をおすすめするのはノート漫画同様、コマ割りがしやすいからです。

 

B5サイズをおすすめするのは、それが雑誌になったときの仕上がりのサイズだからです。

漫画用の原稿用紙はB4サイズといって、雑誌の2倍の大きさの紙になるのですが(全面に描くわけではなく、周囲には製本の際に切り落とすための余白があります)、この「実際に描く大きさ」に合わせてしまうと、紙が大きいだけについ1ページにコマや絵を詰め込みすぎてしまいます。

そういう大きさの感覚が狂ってしまうので、あくまでネームは仕上がりサイズ(B5)で切っておくことをオススメいたしますです。

原稿用紙に描くときにネームを下描きとして使いたい方は、ちょっとめんどくさそうですがネームを拡大コピーしてみてはいかがでしょうか。

 

ちなみにいうと、本来ネームとはそうした「修正前提」のものですので、けっこうラフ(簡単)に描く人が多いみたいですが、私はけっこうネームの絵を丁寧に描いていくタイプでした。

絵の練習にもなるし、描くテンポが遅くなるので、じっくり1ページを考えながら作りこむことができるからです。ラフな絵柄でさっさと描いてしまうと、つい「描き流す」というか、結局せりふとか無駄になってしまうことが多かった気がします。

また、ネームの段階でそれぞれのキャラクターをしっかり描き慣れていないと、特に画力の安定していない初心者のうちは、キャラクターがページごと・コマごとに顔が違って見える、なんてことになってしまいかねません。

自分のキャラクターを描き慣れておくためにも、ネームは(初心者のうちほど!!!)丁寧に絵を描くといいと思います。

 

うーん、こんなとこでしょうかね。

また何か思いついたら追加・補足をアップします。

ご参考までに~。

漫画を描く楽しさに目覚める「ノート漫画」!!便利なのは「B5方眼ルーズリーフ」!!!!

皆様こんにちは。

子どものための漫画教室講師を名乗る あかいで みく でございます。

 

えー、先日「ここ何年かの梅雨はマイルド」なんてうっかり書いてしまった私どもではありますが、その直後にとんでもない豪雨が日本列島を襲い、各地に甚大な被害をもたらしてしまったことを受け、軽率な発言であったと反省いたしました。

ここ何年かは毎年どこかしらで洪水や土砂崩れなどの災害が大規模で発生しており、被害に遭われている方も少なくないのに、一面だけを見て「マイルド」などと言ってしまったのは本当に浅はかなことでした。

実際、私の住む岡山県でも多くの被害や犠牲者を出してしまっているので、そういったことに関して無関係・無関心でいるのは愚かなことだと思います。

もちろん、近いからどうこうってことでもないのでしょうけど。

 

改めまして、被害に遭われた方へ心よりのお見舞いを申し上げます。

行方不明の方たちが、どうか早く見つかりますように。

被災地の方たちが、一日でも早く、安心して眠れるようになりますように。

 

私ができることは、決して多くない………と、こういうことがあるたびに己の無力さに悲しくなったりしますが、それでも、こんな自分でも、何もできないわけではない………ということもまた、強く思うわけです。

人間の究極の幸せは、やはり誰かを幸せにすることだと思うので、私もだれかに貢献できる人間でありたいと思います。

ものすごく立派な人間でなくてもいいわけです。

みんなそれぞれに、自分らしいやり方で、誰かに貢献する=役に立つことはできると思います。

 

私の場合は、得意な文章を書くことで自分の経験や知識を人にシェアすることが一つの「貢献」のしかただと思っているので、今日も今日とてこうしてブログに文章などしたためているわけです。

もう少し更新頻度を高くすることが目下の目標であります、ハイ。

 

えー、では、肝心の漫画の話を。

 

以前 ダイソー で漫画を描くための道具をいろいろ揃えられるよーという話をしたと思うのですが、今回はちょっとその補足をしておきます。

 

akaidemic.hatenablog.com

 

漫画を描くためにまず用意するのはA4サイズの無罫(無地)のノートがいいよ、というのがその趣旨だったわけですが、これはあくまでアイデアを書きとめたり絵の練習をしたりする「なんでもノート」です。

実際に漫画を描こうとすると、また違った種類の道具、つまり紙が必要になります。

 

先に結論を言ってしまうと、実際に漫画を描くためにまず用意しておくといいのはB5サイズの方眼のルーズリーフです。

 

ルーズリーフは一枚ずつばらばらになっている穴の開いた紙をリングで綴じて使うノート?のことで、B5サイズは皆さんがふだん学校で使っているノートや一般的な漫画雑誌(「ジャンプ」とか「りぼん」とか)と同じ大きさのことです。

方眼は四角いマス目のこと。小学生の時は1cmのマスを点線で4つに区切ったものを「方眼」として使ったりしますが、ここでいう「方眼」はシンプルな5mm方眼のことです。

このB5サイズの方眼のルーズリーフ(紙)と、それを綴じるバインダーを用意してください。どちらも ダイソー で手に入ります。ちなみに同じ100均でも、 Seria には方眼のルーズリーフは置いてありませんでした。

 

100均のルーズリーフ用バインダー(B5サイズなら26穴が一般的です)はリングの部分がプラスチックでできていて壊れやすいうえギミックが簡素で開け閉め・綴じが若干不便ですが、まあ最初はこれで十分でしょう。

あるいは紙でできた2穴のフラットファイルもいいですね。26全ての穴を綴じる必要は別にないので。紙の表紙は一見もろそうですが、意外と丈夫で、長持ちします。肝心の綴じるためのギミックは金属と樹脂?なので、プラスチックの26穴よりはむしろ丈夫かもしれません。

 

で、これはね、いわゆる「ノート漫画」のための紙です。

 

ノート漫画って何かというと、変な説明かもしれませんが、「とりあえずノートに描いておく漫画」です。

 

漫画っちゅーのは描き続けていくとそのうちプロになりたいとかいう気持ちが出てくることもあって、まあそのためには雑誌に投稿したりすることが必要になってくるんですけれど、そうなると描き手には必ず「規定枚数内に収める」という技術が求められることになります。

つまり、雑誌や賞によって違うけれど、だいたい8・16・24・32・40ぐらいのページ数(印刷の都合で8の倍数になっているのが一般的)が定められていて、投稿者はそれに合わせて作品を作らなくてはなりません。

 

(最近はインターネット上にいきなりアップしたりすることがデビューのきっかけになるということもあるらしいけれど、それにしたってプロとして活躍することになれば、どのみち決められたページ数に作品を収めるということをしなくてはいけなくなるはずです。)

 

そうなると、ネームと呼ばれる「原稿用紙以前の段階」で、何度もページ数調整のために描き直しをすることになるわけですから、そういった場合は右ページを左ページにしたり、あっちとこっちのページを入れ替えたりということがやりやすい、レポート用紙のようなものが使いやすかったりするんですよ。

でも、とりあえずそういうめんどくさいページ数調整とか投稿とか置いといて、自由に漫画を描いてみたい、ってなったら、まあたいていのひとはそのへんにあったノートに、鉛筆やシャープペンシルで描き始めますよね。

(思い返せば小学生の頃とか、やたらめったらもらい物のノートとか持っていた気がする………なんでだろ。)

 

まあ、つまりそういうものが「ノート漫画」だと思ってください。

ページ数とか気にせず、ペン入れすることとか特に考えず、自由に気楽に楽しく描けるのが「ノート漫画」です。

漫画を描き始めたひとってのは、まあたいていがこの「ノート漫画」から始まるわけです。

 

しかし、普通のノートだと、当然のことながら背中部分が綴じられていますから、中の紙を簡単に入れ替えたりすることができません。

ちょっと間違えたり何度も描き直したりしているうちに紙がデコボコになったりして汚くなったり描きにくくなったりして、そのうち強めに消しゴムをかけたりしてたら力が入りすぎてぐしゃっとなっちゃったり………。

そうなると「あー、もうこのページいらない!!!」ってやぶっちゃって………。

初心者であればあるほど、残念ながらそういうことは起こりやすくなります。

そんなことやってるうちにノートはどんどん薄くなってきたりして、それでいてそのノートには、飽きても別の作品を簡単に描きづらかったりするわけです。

そうなると残ったページが無駄になったりして。

 

そのへん、ルーズリーフはもともと紙がばらばらになっているわけですから、気に入らないページは破らなくてもぱっと取って捨てればいいし(もちろん取っておいてもいいですよ。それもお宝ですから)、今描いているものに飽きて別の作品を描き始めたとしても、ノートのように残りのページが無駄になることもありません。

作品ごとにインデックス(しおりのようなもの)をつけておけば、どれかが描きっぱなしでも、いつでも気軽に別の作品を描き始められるし、同じ一冊のファイル(バインダー)にコンパクトにまとめておくこともできます。

もちろん裏表になっているわけですから、裏のページを捨てたいときすでに描いてしまった表の部分が無駄になることはあるかもしれませんが、まあそれくらいならご愛嬌というか。描き直してもいいし、裏の部分だけ別の紙に描いて糊かなんかで貼ってもいいですしね(私はそういうことはしませんでしたが)。これも、普通のノートなら貼ったところが不自然にデコボコしたりしますが、ルーズリーフだとあまり気になりません(多分)。

 

そういうわけで、私はわりと早い段階からノートに漫画を描くことには見切りをつけて、いわゆる「ノート漫画」はルーズリーフ一本槍です。これほんと便利。

方眼をおすすめするのはコマ割りがしやすいからと絵のバランスを取りやすいからなのですが、別に特に方眼でなくても普通の横罫(横線が6~7mmの感覚で入っているもの)でもいいと思います。

実際私はかなり長い間、つい最近までノート漫画は横罫のルーズリーフを使っていました。

理由は、その方が手に入れやすいからです。

最近はノートの方眼のものがずいぶん手に入れやすくなりましたが、ルーズリーフというとまだまだ方眼のものは一般的でないようで、あまり文具売り場にも売っていません。そういう場合は、無理せず横罫のもので十分です。

ただ、横罫のものはたいていの場合上部に大きな余白が取られていて、タイトルや日付を書きこめるスペースになっていて、それが漫画を描くうえではちょっと邪魔ではあります。その点方眼のものは紙の全面を使えるので便利。

 

無印良品 で売っているものは安くて紙の質もいいので、近くに店舗があるひとは試してみる価値アリです。近くに 無印良品 がないひとは、やはり ダイソー が最も安くて手に入れやすいでしょうね。

ただ、 ダイソー のものはやはり安いだけに紙質はいまいちです。薄くてざらざらしている感じ。シャーペンの線も、ものによっては太くなってしまいます。

それが嫌なひとは、ちょっと高くても マルマン のものを使ってみましょう。なめらかでシャーペンの線も綺麗に出て、こすれも起こりにくいように思います。さすが国産。安定の高品質です。

方眼のものが近くの店になければ、横罫でもこれも試す価値アリ。

線が綺麗に出ると、しっかり描き込むことができる(=丁寧に絵を描くようになる)ので、絵の上達も早くなりますよ(以前言ったことと矛盾するようではありますが、これもまた真実)。

 

で、作品がたまってきたりしたら、徐々に紙もいいものに替えていくとか、バインダーもリングが開け閉めしやすいものや丈夫なものに替えていくとかすればいいと思います。フラットファイルを作品ごとに用意するのもいいですね。

 

「ノート漫画」はあくまでノート漫画で、投稿用とは一線を画しているものではありますが、やはり漫画を描く楽しさは、ノート漫画で知っていくものだと思います。

ぜひ自分に合った紙やファイル、あるいは相性のいいシャープペン(芯も含めて)を見つけて、楽しい創作活動を行ってください。

 

投稿用なんて、最後の最後でいっすよ。

まずは気軽に気ままに、「ノート漫画」で、漫画を描くことの楽しさに目覚めましょう!!!!

漫画上達に欠かせないもの…それは「読んでくれるひと」!!!!

どうも、皆様こんにちは。

子どものための漫画教室講師を自称する あかいで みく でございます。

 

前々回、友人のために塗り絵を作ったことを書きましたが、先日その友人宅に、できあがった塗り絵を携えて行って参りました。

 

akaidemic.hatenablog.com

 

彼女からは私の昔描いた漫画作品が見たいというリクエストももらっていたので、B4ファイル3冊分の選り抜き作品も持参して。

 

前々回も描きましたが、彼女は美大出身なので、画力は私なんかとは比べものにならないほど高いわけですから、私の描いたものを喜んでくれるのかどうかわからなかったのですが、彼女の感想としては

「やっぱり原画がいいね」(←塗り絵として、コピーしたものを渡しました)

ということと、

「手を昔からしっかり描くよね」

ということでした。

 

手???

そ、そうだったっけ?????

よく覚えてないわーーーー。

 

で、彼女が美大を卒業した後に、ほんのちょっとだけ描いていた漫画作品の原稿(の、ごく一部)も見せてもらいましたよ。

ほほー、こんなものを描いていたんだー、と、興味深く拝見いたしました。

 

しかし彼女は、やたらめったら恥ずかしがって、全部は見せてくれませんでした。

「これなら」とか「こんな感じ」とか、1枚ずつ渡してくれたりして、それでも3枚ぐらい?しか??見られませんでしたよ。

もう作品なんて描きすぎて投稿しすぎて(10年くらい投稿していた…)、その手の羞恥心なんぞとっくになくなっていた私は、

「ええいじれったい!!!さっさと見せやがれ!!!」

などと言っておりましたが、まあ大抵の人ならこういう反応なのかな。

 

作品を誰かに見せる、というのは、以前書いた「ちょっと描いてみる」ということの次くらいに訪れる大きなハードルかもしれませんね。

だって、学校の宿題プリント見せるのと違いますもん。

漫画やその他の物語作品(たとえば小説とか)はやっぱり、自分の頭の中にあるものを形にしたものであるからして、言ってみればその人の日記のようなもの。

ものすごーくプライベートな部分が表れているものなんですよね。

 

しかも少年少女向けの作品であれば、愛だの恋だのコンプレックスだの挫折を乗り越えだの、ウルトラスーパーサンダーアタックだの(なんだそりゃ)、やっぱり描き出すモチーフそのものが思春期真っ盛りの少年少女にはこっぱずかしくってたまらないものなわけですよね。

 

「〇〇ちゃんって、ふだんこんなこと考えてんの?」

とか思われたりしたらもう!!!!!

もうもうもう!!!!!!!!!!

羞恥心で死ねる、

っていうかいっそ殺せ!!!!!

みたいな。

わかるわー。いつか来た道。

 

でも。

でもね。

 

それでも、見せよう。

見せたほうが、いいです。

 

相手はできれば、自分がとても信頼しているひとがいいです。

仲の良い友達とか、あなたが漫画を描くことを応援してくれるお父さんお母さんとか、あなたを決して子ども扱いしないで人と人として話してくれるあくまで口の固い学校の先生とか、今の時代ならネットで出逢った同じ夢を持つ同年代のひととかね。

 

「描いたんだ」と言ったら、「おー、見せて見せて!」なんて言ってくれるひと。

どんなに下手でもバカにしたりせず、一つの作品として受け止めてくれるひと。

「ここはこうしたら?」と言ってくれるひとは、あなたに愛のあるひとです。その意見を素直に受け止めることができると、あなたはいいものが描けるようになるでしょう。

 

たった一人で自分のためだけに描いて楽しい、という時期を過ぎると、やはり漫画を始め、すべての物語作品は、読んでくれる人を喜ばせるために作られるということを肌で知ってほしいと思います。

描いたものに反応を返してくれるひとが一人いるだけで、あなたはどれほど描くことが楽しくなることか。

一度それを知ることができたら、もうあなたはそのひとのために描きたくてしょうがなくなるんですよ。

 

逆に言うと、誰にも読んでもらえない作品を描き続けねばならないのはなかなかにツライものがあります。

私は投稿時代の最後の数年は、周りに作品を読んでくれる友人がおらず(友達はいたけど、漫画を描いていることを言ってなかった)、投稿しても選外ばかりで満足な批評も得られず、たった一人で孤独に描いていました。

20代後半でフリーターだったので「早くデビューしなきゃ」と焦る気持ちばかりが募り、自分自身が描くことを楽しむことなどとっくにできなくなっていました。

今思えば、見当違いのものばっかり描いていたなーと思います。

 

私がデビューできなかった理由は、まあいろいろあったとは思うのですが、やはりこの「誰にも読んでもらえず、たった一人で描いていた」

というのは大きかったと思います。それを読んでもらって喜ばせたいひとの顔など思い浮かばないわけですから。

あの頃の私に、たった一人でも、

「次はどんなの描いたの?見せて見せて!!」

なんて言ってくれるひとがいたとしたら…………

結果は今とは違っていたかもしれませんね。

 

つい最近、塗り絵の彼女とはまた別の友人に、作品を読んでもらう機会がありました。

それは私がそのツラいフリーター投稿時代に、投稿作の合間に気ままに描きつらねていたノート漫画なのですが、まあどこにも発表の場もないし、私がこのまま墓場まで持って行くしかないものだなーと思っていた作品です。

今は東京で暮らす彼女から、久々に年賀状が届き、

「ひょっとして、あの子ならこれを喜んでくれるんじゃないか?」

と、ふと思ったわけです。

 

彼女は高校で知り合った友人でしたが、私が友人と一緒に同人誌などやっていたのを見て、当時からとにかく事細かに作品の感想を伝えてくれていました。

「これってもしかしてこういうこと!?」

「この本のこの話が一番好き!!」

「私は〇〇(私の本名)さんの一番のファンだから!!!」

そんなふうに言ってくれるひとがそばにいる創作が、楽しくないわけがないですよね。

 

で、そういう信頼関係があったわけですから、お蔵入りになりかけていた私のお遊びの作品でもきっと喜んでくれるはずだと思って(やはり勇気はいりましたが………なにせ古いものだったので)、送ってみたのです。

そしたらやっぱり感想を送ってくれて、途中になっていたその作品も「最後まで描いてしまおうかな」なんて思ったりして。

 

そうなるとね、もうね、彼女のために描きますよね。

彼女をドキドキハラハラさせるために、おもいきり萌えさせるために、はりきりますよね。

そうしてする創作は、やはりめちゃくちゃ楽しいものだし、いいものができるんです。

 

自分の描いたものを人に見せるのは恥ずかしいでしょう。ええ。

でももし、あなたの周りに一人でも、「このひとは信頼できる」「私の勇気を受け止めてくれる」と思えるひとがいたら、そのひとには是非ご自分の作品を読んでもらうことをおすすめいたします。

それはあなたの作品を質の高いものに発展させてくれるし、あなたの創作活動そのものをとても楽しいものにしてくれるでしょう。

 

でもって、やっぱり物語作品てえのは、描いた本人が楽しんでなければ、面白いものなどできるものではないのですにゃー。

それはもう、えぐいくらいに作品は自分の生き写しなわけですから。

こっぱずかしくて当然。「見せるのが恥ずかしい」のは、むしろまともな感覚です。

 

でもそこをあえて、いっときましょうよ。

 

この先も描いていたいと、あなたがもし思うのであれば、ね。

野猿の魅力から考える、キャラ作りこれがテッパン。

どもども皆様、お元気ですか。

子どものための漫画教室 講師の あかいで みく でございます。

 

ちょっと前回から間が空いてしまいましたが、その間私が何をしていたのか、僭越ながらお話させていただきますと、

 

野猿 です。

 

野猿 とは、知らない若者世代のために簡単に説明いたしますと、今年3月に惜しまれながらも最終回を迎えた伝説的バラエティ、「とんねるずのみなさんのおかげでした」の中で生まれた音楽ユニットで、1998年から2001年まで約3年間活動をしていました。

とんねるず以外のメンバーは全員番組の美術スタッフという全くのど素人集団であり、歌も踊りもさっぱり使い物にならないような連中でありながら、恐ろしいほどの豪華な音楽プロデュースや海外での本格的なプロモーションビデオ撮影を行ったりして、当時宇多田ヒカルGLAYなどがミリオンセールスをばんばん飛ばしている中で、出すシングルの全てがオリコン初登場10位以内を叩きだすという、驚異的なヒットを飛ばしていた異色のユニットでありました。

 

そして当時高校生であったワタクシも、彼らが活動を終える(いわく「撤収」)直前にまんまとハマってしまい、短い間ではありましたが彼らを非常に楽しく応援させていただきました。

 

のがもう20年近く前???

 

大学に入学したばかりの5月、名古屋に進学した友人と大阪で落ち合って、大阪ドームの撤収コンサートに出向いたのはいい思い出です。

 

そして先週、「おかげでした」の最終回すら見ることのなかった私ですが、ふと、本当にふと、彼らのことを思い出して、ちょっとYou Tubeの動画など観てみたら………

 

見事にハマりました。

 

野猿熱、再び。

 

次の日にTSUTAYAに走ってアルバムすべてをレンタルし、カーステは野猿三昧。熱に浮かされたようにYou Tubeニコニコ動画の当時の映像を漁りまくり、連日午前様という有様。

あまりのハマりように、5歳の娘にも呆れられる始末。

 

そんな一週間を過ごしたわけですが、さすがにいろいろと生活に支障が出てきているような気がしなくもないので、名残惜しいながらもとりあえず野猿祭り終了。

あー楽しかった。

とはいえまだまだブーム再燃の余波が続いていて、動画観たりしてますけども。

 

なぜ全くの素人集団であったはずの野猿がこれほどまでに視聴者の心をつかんだのかというと、いろんな要素があったと思います。

もともと超ビッグネームが曲や踊りを作っているので、歌やダンスそのものがかっこいい・好きというひともいたでしょうし、素人である番組スタッフ(ほとんどが無理やりやらされるはめになっている=あんまりやる気がない)がメンバーとして成長していく過程が楽しいとか応援したくなるというのもあるでしょう。

あるいはPV撮影に向かう成田空港で突然メンバーから外されたり、メンバーが「催眠術にかけられる」などといったバラエティらしい演出がとにかく笑わせてくれるというところもありました。

 

そういったもろもろの要素が重なって野猿のヒットがあったと思うのですが、その中の非常に大きな一つとして、彼らが非常にバランスのいいメンバー構成であったというのがあると思うのです。

 

活動期間中にも何度かメンバーの入れ替わりがあるのですが、最盛期の11人はそれぞれが個性の立った、とてもバランスのいい構成でした。

 

中心となるボーカルチームはとんねるずのタカさんとノリさん、アクリル装飾のテルリンと衣装のカンちゃんの4人ですが、まずこの4人のバランスが絶妙なのです。

 

野猿の総合プロデューサーであるタカさんはとにかく毎回メンバーへの無茶ぶりが半端なく、悪魔のような独裁者ぶりを発揮していましたが、素人集団である野猿を先頭に立ってぐいぐい引っ張っていくリーダー。歌声やルックスは野性味があって男くさい感じ(私のイメージカラーは黒でした)。

一方で相方のノリさんは歌唱力やダンスの実力は多分メンバー1でありながらも、決して出しゃばらず後ろにそっと控えていて、暴走しがちなタカさんやバックダンサーのメンバーをさりげなくフォローしている、優しいお兄さんタイプ(私的イメージカラーは白)。

それから野猿で最高の歌唱力を誇るテルリンは、その実力と渋いルックスからファンに絶大な支持をされていながらも、基本的にはもともとスタッフであるというスタンスを崩さずあくまで謙虚。

そしてカンちゃんは、歌唱力は他の3人にはやや劣るものの、他のメンバーが大人の男らしい外見である中で一人小動物のように小さく可愛らしく、野猿のアイドル的存在。

 

とんねるずだけでは新鮮味がなく、かといって素人であるテルリンやカンちゃんだけでは華がなく、歌が上手くてもタカ・ノリ・テルだけではちょっとむさくるしいわけです。

とにかくこの4人!!!!

この4人で野猿のゴールデンバランスだ!!!!!!

という、完璧なメンバー構成。

 

そしてさらにテルリンやカンちゃんがどちらかといえば大人しい性格であまり前に出て来ない一方で、アクの強いバックダンサーの面々が毎回いろいろなヘマをやらかして、それがまたバラエティとして面白く………と、とにかく野猿はメンバー11人がそれぞれに個性的で、それらの個性が非常にバランスがよく、「この11人だからこそ面白い」というひとたちだったと思うのです。

 

で、漫画の話ですが(遅くなりましたが、ちゃんと関係ありますよ)、漫画のキャラクターづくりにおいても、この「バランス」って非常に重要なんですよね。

どういうことかというと、個々のキャラクターを、お互いに「かぶってる要素がどこにもない」というくらいにまでデフォルメ(誇張)しきるということです。

 

現実世界では、人はやはり似たもの同士でつるむものですから、性格や外見は友人であれ恋人同士であれ似通ってくるものですが(ティーンエイジャーならなおさら)、フィクションの世界では登場人物の「キャラがかぶる」というのは言語道断のご法度。素人の所業です。

たとえば主人公が内気な性格の女の子なら、相手役の男の子は超強気でオレ様な性格ぐらいでないと、そもそもドラマが起こりません。

それまでの主人公の世界がなんらかのきっかけで揺らぐのがドラマの始まりですから、全く正反対の個性をぶつけるくらいで丁度いいわけです。

 

たとえば、例えが若干古くて恐縮ですが、世界的なヒットを今も飛ばしている、かの「ドラゴンボール」は、まず悟空とブルマの出逢いから物語が始まります。

超人的な身体能力でありながらも、人里離れた山奥でひっそりと暮らしていた悟空に対し、ブルマは最先端の科学技術によって作られた不思議な道具をいっぱい持って、大都会からやって来ます。

さらに、背の低い少年である悟空に対し、ブルマは背の高い大人の女性として現れるわけです(実際には16歳?ぐらいなんですが…)。

 

悟空の 男・子ども・田舎・超人的な身体能力 などに対して

ブルマは 女・大人・都会・最先端の科学技術 という、

正反対の個性(キャラクター)が出逢うことで、物語が始まっていくんです。

 

他にも、「ドラえもん」なんかもそうですよね。

何をやってもダメな冴えない主人公のもとに、どんなことでもできるロボットがやって来るという。

ドラえもん」はメイン5人の個性がやはり丁度よくばらけていて、絶妙なバランスを生んでいます。

(そのせいか、しばしば藤子先生はこの黄金のキャラ構成を他の作品でも転用しておりました………←しかし「キャラクターの自分的ゴールデンバランス」を繰り返し描く作家は決して珍しくはない。)

 

とにかくキャラクターは、互いに個性が振り切れているぐらいでないと、いる意味がありません。

限られた容量で(漫画ならページ数、アニメやドラマや映画なら「尺」とも言われる時間)質の高いドラマを見せようと思えば、無駄な要素はどんどん削っていく必要があるわけですが、それがキャラクターに関していえば

「かぶっている部分はとことん排除する!!!」

つまり個性をとことんデフォルメして正反対の人物を作るというやり方にならざるを得ないのです。

 

ためしにどれか一つ二つ、漫画でもアニメでもいいので、人気で長く続いているような作品を取り出してキャラクターを見てみてください。

プリキュアでも仮面ライダーでもクレヨンしんちゃんでも忍たま乱太郎でも、それが初期メンバーであればあるほど、登場人物のキャラクターは互いに「正反対の個性」を持っているように作られているはずです。

 

よく美少女や美少年がごろごろ出てくる恋愛シミュレーションみたいな作品がありますが、あれも各キャラクターの個性は決してかぶらないように作られています。

そりゃそうですよね。同じなら(二次元では)いる意味がないですから。

あ、双子という設定はあるかもしれませんが。

でもまあ中には、髪型と服装だけすげ替えたような「同じような美少女」「似たようなイケメン」を無駄撃ちしているような作品もあったりするわけです。

これはもったいない。

それならいっそ、人数を減らして、多少美形から遠ざかっても個性をとことん振り切らせたほうが、逆に支持されるキャラ・作品になると思います。

アイドルグループなんかでも、一番人気の子は、必ずしも一番美形の子ではなかったりしますよね?そこはやっぱり、個性のある子が認知され、支持されるわけです。

 

キャラ作りは「個性が振り切れるほどデフォルメ」!!!!!

これが鉄則です。

 

えー、今回ちょっと前半の野猿の話が長くなりすぎてしまい、申し訳ありませんでした………。

でもこれ描き終わった後も、また動画観に行ってくるよ、たぶん。

 

ちなみに「おそ松さん」や「チャラン・ポ・ランタン」を一緒に楽しんでくれた娘は、野猿には全く興味がないよう。

 

曰く、「おじさんばっかりだから」。

 

それがいいのに!!!!!!!!!!!!!

 

………と、思わないでもなかったけども、娘がおっさん趣味になってしまったらそれはそれで厄介だなあと思い、そこはあえて言わずにおきましたよ………。

しかし最近は10代の子もパパママの影響で野猿聴いてたりするみたいですからね。

 

みんな、野猿イイよ!!!

よかったら聴いてみてね!!!!!

 

塗り絵、作りました。

はい皆様、お元気ですか。

子どものための漫画教室講師を名乗る、 あかいで みく でございます。

気が付けば季節はもう夏ですね。

私が子どもの頃は、梅雨ってのはもっと毎日雨が降り続いて、ほんと一か月晴れ間なんて見えないぐらいのアレだったんですが(「晴れの国」を自称する岡山県ですら)、ここ何年か(十何年か??)の梅雨は、あの頃に比べると本当にマイルドな気がします。

一週間のうちに、何日かは晴れ間がのぞいてくれるもんなー。

今日もそんな梅雨の晴れ間の覗いた、暑い一日となりました。

こういうの、五月晴れっていうんでしょうね。

しかし「五月」というとなんとはなしにさわやかで清々しイメージなのですが、ここんとこの晴れ間はもうギラギラとした夏の匂いがしますですよ。

ふと見ると、民家の軒先にどぎつい色の花が。

 

これまで何度となく通ってきた通勤路に、そんな赤い花が咲いていることに私は気づいていませんでした。

しかしその日、それがザクロだと唐突にわかったのは多分、私が先日までこんな絵を描いていたからでしょう。

 

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先日、小学校からの友人である某ちゃんから、「塗り絵を作ってほしい」と言われ描いてみました。

某ちゃんは美大を卒業してアパレル業界で販売員としてばりばり働いていたのですが、この度会社を退職し、ちょっとのんびりしようかと思っているそうで、大好きな色鉛筆と戯れるために塗り絵がほしいとのこと。

 

某ちゃんのリクエストは「17から25歳位の少女なら嬉しい」だったんですが………

す、すまん、6歳くらいになったよ………。

最初のコンセプトは「和風不思議の国のアリス」だったのだが。

なぜこんなことに。

ちょうど車の中で「チャラン・ポ・ランタン」の「あの子のジンタ」を繰り返し聴いていた頃だったので、こんなふうになってしまったのだと思います。

ちなみに「禁断の果実」は林檎ではなくイチジク説を大プッシュ。

しかしまあ、絵にすると地味なのでイチジクでなくザクロにしました。

そんで冒頭の話に戻るんですが、そんなわけでこの絵のために、ちょっとザクロの画像を検索したりしてたわけです。

 

私は過去に漫画家を目指し、それなりに賞を貰ったりデビューの話をいただいたりはしたものの、実は未だに絵が下手です。すっごく下手です。

特にこういう、純粋なイラストみたいなものがほんとに苦手で、投稿時代もけっこう表紙とか苦労した覚えがあります。

私にとって、絵は話を動かすためにあるものなので、物語のないイラストは、ほんと何をどうしてよいやら未だにさっぱりわかりません。

うー、お粗末なものを載っけてしまって申し訳ありませぬ………。

 

どちらかというと投稿時代は、絵よりもお話、特に台詞回しやキャラクターの心情表現などといった演出の部分を褒められることが多かったように思います。

ですので自分の絵には未だに全然自信がないので、ここでこのようなものを披露するのもはばかられるのですが、こういうものを載せることで、これを読んでいる皆様にも

「この程度でもそこそこ賞とか獲れるんだー」

みたいに思っていただけたらいいかなと思って、勇気を出して載せることにします。

 

ほんとに絵は未だに自信がありません………。

全然、流行りの絵柄とかでもないしね。

 

まあ、せっかくだし、制作過程みたいなものを書いておこうかと思います。

どなたかの役に立つかどうかはわかりませんが………(本当に自信がない…)。

 

まず「和風・不思議の国のアリス」にしようと思って、切禿(きりかむろ/いわゆるおかっぱ)で赤い着物の少女にしようと思い立ちました。

で、白ウサギでなく狐の面の着流しの男、帽子屋は燕尾服の異人さん、ハートの女王は花魁、みたいな感じで妄想を膨らませました。

が、某ちゃんの画風は幻想的なグラデーションが魅力なので、あまり細かく描きこむよりも色で遊ぶ余地のあるゆったりとした絵のほうがいいなと、モチーフを減らして少女と狐だけに。

 

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最初のラフスケッチ。B6サイズの手帳にボールペンで殴り描き。少女の髪型が中途半端ですね。

最初は狐が少女の首元に手を回している構図を考えていたのですが、着物の襟元が隠れるのはもったいないのでやめました。

 

で、次にA4のコピー用紙に下描き。

 

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この時点では、狐を描くのをやめようと思って少女だけの絵にしましたが、やっぱり少し物足りなく思ったので、別の紙に狐を描いて、組み合わせることにしました。

 

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出来上がりでは右向きですが、描きやすい左向きで描いて、ペン入れのときはトレース台でトレースします。

が、トレースしたら着物の合わせ(襟の位置)が逆になってしまいました…。

あぶないあぶない。直しましたけど。

 

で、この2枚をすんご~~~~~く、アナログな手法で組み合わせて、下描きとして使用しました。

2枚を組み合わせたので改めて下描きしようかとも思ったのですが、め、めんどくさくなってしまって………。あとはもうフィーリングでペン入れです。ザクロの花もほぼ下描きなしの一発描きです。わはは。

 

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で、まあこんなかんじに。

 

あとは細かい部分を修正して出来上がり。

 

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こういうインクのかすれたとことか

 

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線が越境しているとこですね。

こういうところを残したままだと絵全体が雑な印象になってしまうので、ただでさえ画力に自信のない私は、けっこう細かくホワイトを入れるタイプでした。

 

で、まあなんとかかんとかできあがったのが冒頭の絵です。

 

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修正前と、違いわかりますかね??

まだまだ直したいところはある気もするのですが、まあこんなもんかなと。

目や睫毛の部分はいつもならもう少し描きこみますが、今回は塗り絵なのでなるべく色が映えるよう、白っぽいままにしています。瞳も塗りつぶしていません(いつもはベタ塗りします)。

 

ちょっと古めのペン先を使ったので、線がガタガタしていますね。

使用したのは丸ペンとスクールペンです。線を太く縁取りしているところは、丸ペンで描いたものの上からスクールペンで描いています。レトロ塗り絵みたいになって縁取りは楽しかったのですが、某ちゃんの画風には合わないかもしれません………。

 

と、まあこんなかんじで今回の塗り絵ミッションは終了。

「和風不思議の国のアリス」改め「廓の国のアリス」は、また描くかもしれません。

 

私よりもはるかに絵の上手い某ちゃんが、喜んでくれるといいのですけど。

漫画を描くための最初のステージは「紙と鉛筆」。絵の上達におすすめの紙はこれだ!!

はい、皆様こんにちは。お元気ですか。

自称子どものための漫画教室講師、 あかいで みく です。

連日雨のこの時季、紙モノを扱うお仕事のひとは大変だなあと思ってしまいます。

郵便屋さんとかね。ずぶ濡れでもいつも笑顔ですよ。お疲れ様です。

ちなみに言うとうちの郵便ポストは蓋がぶっ壊れていて、郵便物は全て雨ざらしです。

しっとりと濡れているAmazonの段ボールに風情を………感じないか、別に。

 

紙と言えば、先日100円ショップの ダイソー に行ってきたんですけども、やはり断然楽しいのは文具コーナーです。

最近ではほんとに内容が充実してきていて、漫画に使える道具もたくさんありますよ。

私も投稿していた頃からほんとお世話になっていて、雲形定規や丸テンプレート、アルミ定規やネーム用の方眼レポート用紙など、かなりのものを ダイソー で買っていました。

ていうか今でも買ってますよ。

今はイラスト用のマーカーが人気のようで、品切れ続出だそうです。すごいなー。

使ってないから品質はどうなの?色は綺麗なの??とか、気になることはありますが、コピックとか300円ぐらいはするんだから、まともに使えるなら108円(税込)てめちゃめちゃ安くない!!?

母の秘蔵のコピックを狙っている娘(5歳)の防波堤になってくれるか、 ダイソー よ。

 

まあイラストマーカーみたいなものはともかく、漫画っちゅーのは比較的初期投資が少なく始められる趣味だと思います。

究極、紙と鉛筆と消しゴム、それに定規ぐらいあったら始められますからね。

サッカーやピアノ、英会話を習い始めることを思えば。

もちろん描くのが好きなひとはたいていの場合が読むのも大好きだもんですから、描くぶんと読むぶん合わせればけっこう散財してしまうものなんですけども………。

 

それでも私が漫画を描き始めた小学生ぐらいの頃は、100均もそれほど充実していなかったから、ネームするのに使う方眼レポート用紙はショッピングセンターの中に入ってる文房具屋で60枚400円くらいのものを買っていた気がする。

小学生にはなかなかに痛い出費ではあったけれども、当時は「これは必要なものなの!!」なんて息巻いて買っていた。

ナイスファイト、当時の自分よ。

それを考えたら、今はなんでも100均で揃っちゃうよ!すごくない!!?

漫画家を目指す小中学生のみなさんは、ぜひとも ダイソー に行ってみてください。

 

漫画を描く、というとつけペン(丸ペンとかGペンとか)やインク、分厚い漫画用原稿用紙を思い浮かべるかもしれませんが(スクリーントーンとかも)、やはり基本はどこまでも紙と鉛筆(シャープペン)です。

ここをすっ飛ばして漫画っちゅーもんは描けません。

 

今はデジタル作画が隆盛で、漫画用のソフトも多機能なものがしかもなかなかな安価で出回っていますが、こういうものはあくまで基本を押さえたひとが、時間を短縮しつつクオリティの高いものを作るためのものですので、初心者が手を出せるものではありません。

 

基本とは、「きちんとした絵が描けること」と「しっかりしたお話が作れること」です。

 

で、その基本というやつは、紙と鉛筆だけでかなり高いレベルまで上げることができるんですよ。

 

絵を練習するのも、お話を作ってネームを描くのも、どこまでも紙と鉛筆の作業です。

絵がちゃんと描けるようになって、しっかりしたお話が描けるようになって、ようやくペンや原稿用紙に入れるのです。

もちろん絵が下手でも、話がちゃちくても、ペンを使って原稿用紙に描けばいいです。

そういうものを持つことによるドキドキやワクワクは素晴らしいですからね。

私もまだ基本の「き」もできていない頃から、そういう道具を子どもなりに買い求めては悦に入っておりましたとも。

でも結局、基本ができていなければそういう道具もちっとも使いこなすことができないし、たいして役にも立ちませんでした。

道具はあくまで道具でしかないってことですね。

 

このブログでは漫画を描くために役に立つ道具の紹介などもしていくつもりですが、そんな感じでやっぱり一番大事なのは紙と鉛筆です。「漫画を描く」という作業のたぶん9割以上は、原稿用紙に入る前の「紙と鉛筆」の段階がものを言います。

実際に漫画の原稿を描くことになれば、アナログ原稿なら圧倒的に原稿用紙に入ってからの作業の方がかかる時間は長いですが、実は「原稿用紙に漫画を描く」という作業は大きな氷山の一角。

それ以前にどれだけ「紙と鉛筆」というシンプルでいて最強の道具と戯れていたかが、本当に本当にとても大事なのです。

 

絵が下手だからいっぱい練習することも、面白い話を描くためにアイデアを練ったり実際にネームを起こしてみることも、すべて紙と鉛筆だけでできます。

特別な道具は何も必要ありません。

なんなら学校で使っているものでも全然オッケーです。

 

ただ、このシンプルな「紙と鉛筆」も、選ぶのにちょっとしたコツがあります。

 

まず基本は絵の練習をする…というか、好きなものをどんどん描いていく「らくがき帳」が必要ですよね。

これは小学生のとき、国語や算数のノートなんかと一緒に持たされていた「自由帳」と同じようなものだと思ってください。なんでも描いていける「なんでもノート」ですね。

絵は描けば描くほど上達するものなので、今のうちはとにかく、描きたいものを描いて描いて描きまくればそれで大丈夫です。

ノートの紙は罫(線)のあるものより、真っ白なもののほうが、線が絵の邪魔をしないのでいいと思います。もう少し上達して細かいバランスを気にしたりするようになれば、方眼も便利ですが、最初は無罫(無地・真っ白)で十分だと思います。

 

で、この「なんでもノート」ですが、大きさは、できればA4ぐらいのものを選んでください。

小中学生のみなさんが学校で使っているノートのほとんどはB5といってA4よりも一回り小さいものだと思うのですが、実はこのB5サイズは絵を描くにはちょっと小さいんですよね。

と、いうのが、実際に漫画を描こう、投稿しようと思ったら、使うことになる漫画用原稿用紙はB4といって、B5ノートの2倍の大きさのあるものなのです。

 

もちろんその全面に絵を描くわけではなく、周囲には雑誌になったときに切り落とすことになる余白があるのですが、それにしたって実際に絵を描く部分もA4サイズより大きいのです。

初めて漫画用原稿用紙に対峙したときは、まあたいていの人が「でか………(絶句)」なんて思うんじゃないでしょうか。

「ジャンプ」とか「りぼん」とかのたいていのメジャーな漫画雑誌はB5サイズ、つまり「自由帳」と同じ大きさですが、それは大きな紙に書いたものを縮小して載せているので、実際には仕上がりよりも大きく絵を描かなくてはなりません。

 

で、これがまた、B5サイズの紙に慣れているひとは、最初絵を大きく描くことにめちゃめちゃ苦労したりするわけです。

小さく描くことはわりと簡単ですが、普段描いている絵を大きく描くのは案外難しいです。B5サイズの紙に慣れていると、いざ実際に原稿用紙に描くときでも、ついふだん描き慣れているB5サイズくらいの感覚でちまちまと描いてしまいます。

そうなると画面が妙にごちゃごちゃしたり、メリハリのない地味な印象の画面になったりして、絵柄が綺麗でももったいないことになってしまいます。

 

また、ふだん描いている画面が小さいと、人物ならついつい描きやすいバストアップ(胸から上)の絵ばかり描いてしまいがちなので、人物の全身を描く練習がおろそかになりがちです。

A4サイズなら、それでも全身を描くのには小さいという気もしますが、ぎりぎり全身像の練習ができるサイズです。

それより大きいサイズになると、逆にそのへんの店では手に入れにくくなったり、値段が高くなったりするので、値段と大きさ、手に入れやすさのちょうどいいところがA4サイズというかんじでしょうか。

 

それと大事なことですが、「なんでもノート」はノートタイプを選んでください。

「ノートタイプ」とは、紙が背で閉じられてあって、簡単に切り離せないものです。

 

いやまあ綴じ方はどうでもいいんですが、よく「らくがき帳」として売られているレポート用紙みたいになっているものや、コピー用紙みたいに初めからばらばらになっているものは避けてください。

これらは一枚あたりの値段が安いので、どんどん描いていくにはいいんですが、簡単に切り離したりできるだけに、描いたものを残しておくことが難しくなります。

 

先も書きましたが、絵は描けば描くほど上達するので、紙の値段など気にせずにどんどん殴り描きできるものが一番です。

高価なスケッチブックとかはむしろダメです。なんの意味もありません。

いい道具を使ったからといって上達するわけではなくて、これに関していえば、本当に、たくさん描いたひとが上達するのです。だから、どんどん描いてください。

 

そう考えるとコピー用紙とか安くていいんですが、こういった紙は「あ、間違えた」とか「これ、なんか気に入らない」と思ったときに、ぱっと破ったりして簡単に捨ててしまえるんですね。

綺麗に描けたものだけを残したい、と思う気持ちはよくわかりますが、ここはぐっとこらえて、下手でもクソでも、描いたものは全て手元に残してください。

実はそれが、あなたにとってすごいお宝になります。

 

あなたが情熱を持って描き続ければ、絵はものすごいスピードで上達していきます。

そんな中、ふと、ちょっと前のノートを見返してみたら、どうなると思いますか?

 

おそらく上達したあなたは、うわあ、へったくそだなあ、と思うでしょう。

 

けど、それと同時に、

 

「今の自分の絵の悪い所がわかる」

 

のです。

 

これはほんとに不思議なことなのですが、本当です。

昔の絵を見て、今の絵の悪い所がわかるのです。

で、「あれ?私って、こういうところに変な癖があるのかも」とか、「ちょっと意識して直してみよう」とか、また絵が上達するきっかけになったりするんです。

不思議なんですけどね、ほんとです(二度目)。

 

だからね、下手でもクソでも、描いたものは全て残しておきましょう。

いやむしろ、下手でクソだからこそ、残しておく必要があるのですよ。

んでまた、絵だけじゃなくて、お話のアイデアとかでも、「こりゃ使えないな」とボツにしたようなものが、後になって名作に化けるとかいうことも往々にしてあるわけです。

あなたが描いてきたものは宝です。下手でもクソでもです。

そういった理由で、私は漫画家を目指しているひとたちにはノートタイプの「なんでもノート」をおすすめしています。A4で。

 

もちろん描くことに慣れてきたら、自分の好みが出てくるでしょうから、それはそれで自分の使いやすいものを(多少高価でも)選べばいいと思います。

でもとりあえず基本の「き」、紙と鉛筆で戯れるというまず最初のステージにあなたがいるならば、とりあえず ダイソー 行ってみたらどうじゃろか。

ほんと、よりどりみどりだから。

あなたには間違いなく、「才能」があります!!!!

皆様こんにちは、子どものための漫画教室講師を自称する あかいで みく でございます。お元気ですか。

このブログは、若かりし頃に漫画家を目指して雑誌に投稿を繰り返していたワタクシが、今現在漫画家を目指して奮闘している・もしくは漫画を描くことに興味のある若者とそのパパさんママさんを全力で応援するためのブログです。

 

ので、ここに来てくださる方は漫画家を目指している方かそのパパママだと嬉しいなと思っているのですが、今のとこ一番熱心な読者はワタクシのようですよ。ははは。

 

子どもたちの「将来の夢」ってたまにテレビとかでも見かける楽しいトピックスなのですが、人気上位にランクインしている職業はその時代を反映していて「なるほどな」と思ってしまいます。

最近では人気があるのは「ユーチューバー」だそうですね。

わかるわ。

楽しそうだもんね。

ちなみに私がまだ大学生だった時分に、小学生に人気のあった「将来の夢」ぶっちぎりでトップだったのは「フリーター」だった。

それは職業と言っていいものだろうか。

少なくともユーチューバーよりは実現がし易そうではあるが。

 

そんな感じでそのときそのときの世相が反映されている「将来の夢」ですが、漫画家やイラストレーターなんかの職業も相変わらず人気があって、やはり嬉しいというかどこかほっとします。

世代が離れれば離れるほど、噛み合わなくなりがちなお互いの感性だけれども、昔と変わらない部分もあるんだなと思うと、なんかね。

だって、子供ってほんと小さな頃からテレビ観て絵本読んでお絵かきして…ってことやってますから、そういうことが好きな子供もいっぱいいて当たり前ですよね。

 

そんな感じで私がまだ若かりし頃も、雑誌に漫画を投稿して賞をもらったりしていることを話すと、けっこうな数の人が

「私も漫画家になりたかったんだ」

と言ってくれました。

 

でも、そういう人たちの大半は、そのあと判で押したようにこう言ったもんです。

 

「でもお話とか作れなくて、無理ーとか思ってやめたんだー」

 

つまり、「漫画家になってみたかったことはあったけれども、実際に漫画を描いたことはない」のです。

もう本当に、ほとんどの人がこんな感じでした。

 

中学生のとき、私がペン(Gペンとか漫画用の)を使って漫画を描いていることを知ったある同級生が、「あなたがなりたかったのはデザイナーじゃなかったの?(←小学校の学級文集かなんかにそう書いたことがあった)私はもっと前から漫画家になりたかったんだけど」などと言ってきたことがありました。

だからなんじゃいと思ったのですが、彼女とはそれをきっかけに仲良くなり、お互いに描いた絵を交換したりなどするようになったのですが、私はその後も彼女の漫画を読んだのはたった一度きり、16ページもない短編一作のみでした。

 

それくらいね、みんな、描いてません!!!!!!

 

「漫画家を目指している」という人間の多くは、漫画家になれません。

どんなに好きでも、実力が及ばなかったり、時代の波にうまく乗れなかったりして、描くことをあきらめてしまう人はやっぱり多いです。私もその一人でした。

そして「漫画家になりたい」という人間の多くは、漫画家にはなりません。

ていうか、漫画描いてません。

なんとなく、なれたらいいな~と思っているだけで、話を作ることもなければ、キャラクターの絵を紙に描いてみることすらしません。

そんなもんです。

 

そして身も蓋もないようなことを言うようでアレですが、「漫画家になりたい」という人間の多くは、漫画家になる必要はありません。

ええ、ならなくてもいいんですよ。

 

それは、「そんなやる気のねえ奴が漫画家になれるわけねえだろ!退場!!」とかいうことでは全然なくって、先に書いたような「でも絵描けなくて無理ーとか思ってやめたのー」とか言っちゃうひとたちには、描くことが必要なかっただけということです。

 

そういう人はこれもまたけっこう簡単に「あたし才能なくってー」などと言ってくれますが、それは漫画を描く才能がなかったというより、その人の才能は別のところにあったということです。

 

「才能」という言葉はなんというか厄介なもので、たとえば漫画を描くことに関していうと、みなさんこの「才能のある人」というのを「生まれたときから何の苦労もせずに上手な絵が描けて、面白い話がぽんぽん思い浮かんでしまう人」かなんかだと思っているようですが、そんなひとがいるわけねーじゃねーですか。

私も今でこそそこそこ描けるようになり、「絵が上手い」などと(全く描かないひとに)言われるようにもなりましたが、別に小学生時分から大人顔負けの整った絵が描けたわけではないです。あたりまえですが。

 

私は私の娘をなかなかに絵が得意な5歳児だと思ってはいますが、そんな娘の絵だって別に 上手なわけではないです。

自分なりに興味を持って、いろいろなものに挑戦しながら描いているので、どんどん進化しているとは思いますが、それにしたって5歳児の絵でしかありません。

まあ、どへたくそですよ。やっぱり。

「〇〇〇ちゃんは絵が上手ですね~」と言われもしますが、そんな娘だってぐちゃぐちゃの殴り書きから始まって、何を描いているのかよくわからんアメーバみたいなものをアンパンマンだと言い張っていた時代があったわけです。

 

始めから上手いひとなどいません。

みんなアメーバから始まっています。

いやもう、アメーバ以前の「線」みたいなところから始まっています。

今現在2歳の息子がそんな感じ。「アンパンマン」と言い張っているこれ…線だよね!!?丸くすらないよね!!?みたいな。

 

みんなスタートはど下手、アメーバ以前からなのです。

 

なのになんでか「あたし才能なくってー」と言うひとは、「才能のある人」にはアメーバ以前の時代がないように思っているのです。

んなわけないじゃないっすか。

 

私は今でも自分の絵をど下手くそだと思っていて、「目が潰れる!!」「馬鹿死ね!!」「こんな下手くそに漫画習いたいひとなんていねーよ!!」と思ってしまうのですが、投稿時代も本当に下手くそで、投稿ページの批評ではとにかく絵が下手絵が下手と(ソフトな表現ではあるものの)さんざん言われてきたものです。

でも上手くなりたかったから、めちゃくちゃ練習しました。

もちろん今でも自分が望む域にはまるで達していないのですが、それでも練習の甲斐あってか、そこそこ絵を褒められるようになったのです。

 

「才能」というのは、「生まれたときから何の苦労もなく何かができること」ではありません。

 

ある「なにか」に関してはなぜだかめちゃくちゃ頑張れる、いくらでもやってしまえる、そういうジャンルがある、そういうものでしかないと思っています。

上手くなるかどうかは、本当にそのあとのこと、その人がどれだけ頑張れるかということでしかないので、「才能があっていいね」と言うこと自体がナンセンス。

 

しかしこれまた厄介なのが、子どもの頃ってみんな「プレイヤー」になることを目指してしまうじゃないですか。

野球が好きなら野球選手、お菓子が好きならパティシエ、絵が好きなら画家、みたいな。

それは子どもであるがゆえの無知によるものなのですが(そもそも世の中にどんな職業があるのかまだあんまりわかっていない)、そういった「プレイヤー」になれる人のみを「才能のある人」だと思ってしまうんですね。

 

でも、これ、違います。

 

野球が好きでも選手になるよりも選手をサポートすることの方が好きで向いている人もいます。そういう人はコーチになったりトレーナーになったりマネージャーになったりしておもいっきり自分の「サポートの才能」を発揮すればいいだけのこと。

あるいは、選手の側にいるよりも観客として観ていることの方が好きで、試合に行くことが楽しくてたまらないならしょっちゅうスタジアムに足を運んで野球ファンとして野球界を根底から支えてみたり。

 

でも、なぜかみんな、そういうものを「才能」と呼びません。

表舞台で脚光を浴びている、選手とか、俳優とか、作家とか、そういう「プレイヤー」だけを「才能のある人」と思っています。

だから「漫画描けないー」「あたし才能ないー」なんて言っちゃったりして、まあそれは「漫画に関して」という文脈があるからまあいいとして、時には「才能があるひとはいいよねー」なんて言ってしまいます。

 

もうね、ほんとね、それ、大いなる勘違いですから!!!!

 

最初から上手な人はいない!!!!

 

プレイヤーになれるひとだけが、「才能のある人」ではない!!!!

 

誰にも、誰にでも、どこかに「才能」があります!!!!

絶対に!!!!

 

ただ、それをあまりにささいなことだと自分で評価していなかったり、それにぴったりくる職業をまだ知らなかったり、あるいはそれがまだこの世に存在していなかったりするという、それだけのことなんです。

 

だから私は、「漫画家になりたい」というひとの大半は、「漫画家になる必要のないひと」だと思っています。

「描けないー無理ー」というひとは、漫画ではないところ、あるいは漫画というジャンルではあるけれど「描くこと」ではないところに才能があるという、ただそれだけのことです。

「漫画描けないー無理ー」と思ったら、あとは「じゃあ何なら自分は夢中になれるのか」、「今は下手くそでもそんなことどうでもいいくらい頑張れるのはなんなのか」全力で探せばいいだけです。

 

だから、私の開催する(予定の)漫画教室も、漫画を描くための技術を教えはしますが、生徒さんたちのすべてが漫画家になることを目指す必要はないと思っています。

漫画の技術を習ってみて、眠っていた才能が大開花して長じて人気作家になった…というならそれはそれで素晴らしいことではありますが、「なんか違うかも」「それほど描きたいわけじゃなかったみたい」と気づいて、漫画を描くことをすっぱりやめてしまっても、それはそれでいいんです。

 

と、いうか、それはむしろ「おめでとう」です。

 

だって、「漫画、なんか違うかも」と気づけたひとは、すでに自分の本当の才能を探すきっかけを手に入れているわけですから!!!!

 

そのひとの「本当の才能」を生かして生きていける人生は、本当に素晴らしいものだと思います。

私も、作家になる才能はなかったけれど、むしろ自分の作品を作るよりも、文章を書いたり講義をしたりして誰かに技術を教えたりすることの方が好きで楽しいのだと、漫画家をあきらめる経験から知ることができました。

 

だからね、ならなくてもいいんですよ、漫画家。

 

本当に身も蓋もないようですがね。

 

でも、だからこそ、今、ほんのちょっとでも「お話作ってみた」「キャラの絵描いてみた」「誰かに読んでもらった」なんてひとがいたとしたらね、それ、すごいことなんですよ!!!!

 

ほとんどの人は、「漫画家になりたい」と言っても、絵も描かなければお話も作りません。何もしません。

だからこそ、ほんの少しでも「何か」したひとは、もうそれだけで、すごい才能があります!!!!ありまくります!!!!

それは小さな一歩ですが、その「ちょっと描いてみた」「作ってみた」と「描きたいとは思っているけど何もしない」との間には、ものすごい大きな谷間があるんですよ。

ほとんどの人が越えられないそこを、あなたは越えたのですよ!!!!

 

すげーーーーーーーーーー!!!!!!

 

あなたの勇気と情熱を歓迎します。ようこそ。

 

この先あなたがどんな道を進むことになろうと、あなたがあなたらしく生きられる、「本当の才能」に目覚め、それを生かして幸せな人生が送れますように。