漫画上達に欠かせないもの…それは「読んでくれるひと」!!!!
どうも、皆様こんにちは。
子どものための漫画教室講師を自称する あかいで みく でございます。
前々回、友人のために塗り絵を作ったことを書きましたが、先日その友人宅に、できあがった塗り絵を携えて行って参りました。
彼女からは私の昔描いた漫画作品が見たいというリクエストももらっていたので、B4ファイル3冊分の選り抜き作品も持参して。
前々回も描きましたが、彼女は美大出身なので、画力は私なんかとは比べものにならないほど高いわけですから、私の描いたものを喜んでくれるのかどうかわからなかったのですが、彼女の感想としては
「やっぱり原画がいいね」(←塗り絵として、コピーしたものを渡しました)
ということと、
「手を昔からしっかり描くよね」
ということでした。
手???
そ、そうだったっけ?????
よく覚えてないわーーーー。
で、彼女が美大を卒業した後に、ほんのちょっとだけ描いていた漫画作品の原稿(の、ごく一部)も見せてもらいましたよ。
ほほー、こんなものを描いていたんだー、と、興味深く拝見いたしました。
しかし彼女は、やたらめったら恥ずかしがって、全部は見せてくれませんでした。
「これなら」とか「こんな感じ」とか、1枚ずつ渡してくれたりして、それでも3枚ぐらい?しか??見られませんでしたよ。
もう作品なんて描きすぎて投稿しすぎて(10年くらい投稿していた…)、その手の羞恥心なんぞとっくになくなっていた私は、
「ええいじれったい!!!さっさと見せやがれ!!!」
などと言っておりましたが、まあ大抵の人ならこういう反応なのかな。
作品を誰かに見せる、というのは、以前書いた「ちょっと描いてみる」ということの次くらいに訪れる大きなハードルかもしれませんね。
だって、学校の宿題プリント見せるのと違いますもん。
漫画やその他の物語作品(たとえば小説とか)はやっぱり、自分の頭の中にあるものを形にしたものであるからして、言ってみればその人の日記のようなもの。
ものすごーくプライベートな部分が表れているものなんですよね。
しかも少年少女向けの作品であれば、愛だの恋だのコンプレックスだの挫折を乗り越えだの、ウルトラスーパーサンダーアタックだの(なんだそりゃ)、やっぱり描き出すモチーフそのものが思春期真っ盛りの少年少女にはこっぱずかしくってたまらないものなわけですよね。
「〇〇ちゃんって、ふだんこんなこと考えてんの?」
とか思われたりしたらもう!!!!!
もうもうもう!!!!!!!!!!
羞恥心で死ねる、
っていうかいっそ殺せ!!!!!
みたいな。
わかるわー。いつか来た道。
でも。
でもね。
それでも、見せよう。
見せたほうが、いいです。
相手はできれば、自分がとても信頼しているひとがいいです。
仲の良い友達とか、あなたが漫画を描くことを応援してくれるお父さんお母さんとか、あなたを決して子ども扱いしないで人と人として話してくれるあくまで口の固い学校の先生とか、今の時代ならネットで出逢った同じ夢を持つ同年代のひととかね。
「描いたんだ」と言ったら、「おー、見せて見せて!」なんて言ってくれるひと。
どんなに下手でもバカにしたりせず、一つの作品として受け止めてくれるひと。
「ここはこうしたら?」と言ってくれるひとは、あなたに愛のあるひとです。その意見を素直に受け止めることができると、あなたはいいものが描けるようになるでしょう。
たった一人で自分のためだけに描いて楽しい、という時期を過ぎると、やはり漫画を始め、すべての物語作品は、読んでくれる人を喜ばせるために作られるということを肌で知ってほしいと思います。
描いたものに反応を返してくれるひとが一人いるだけで、あなたはどれほど描くことが楽しくなることか。
一度それを知ることができたら、もうあなたはそのひとのために描きたくてしょうがなくなるんですよ。
逆に言うと、誰にも読んでもらえない作品を描き続けねばならないのはなかなかにツライものがあります。
私は投稿時代の最後の数年は、周りに作品を読んでくれる友人がおらず(友達はいたけど、漫画を描いていることを言ってなかった)、投稿しても選外ばかりで満足な批評も得られず、たった一人で孤独に描いていました。
20代後半でフリーターだったので「早くデビューしなきゃ」と焦る気持ちばかりが募り、自分自身が描くことを楽しむことなどとっくにできなくなっていました。
今思えば、見当違いのものばっかり描いていたなーと思います。
私がデビューできなかった理由は、まあいろいろあったとは思うのですが、やはりこの「誰にも読んでもらえず、たった一人で描いていた」
というのは大きかったと思います。それを読んでもらって喜ばせたいひとの顔など思い浮かばないわけですから。
あの頃の私に、たった一人でも、
「次はどんなの描いたの?見せて見せて!!」
なんて言ってくれるひとがいたとしたら…………
結果は今とは違っていたかもしれませんね。
つい最近、塗り絵の彼女とはまた別の友人に、作品を読んでもらう機会がありました。
それは私がそのツラいフリーター投稿時代に、投稿作の合間に気ままに描きつらねていたノート漫画なのですが、まあどこにも発表の場もないし、私がこのまま墓場まで持って行くしかないものだなーと思っていた作品です。
今は東京で暮らす彼女から、久々に年賀状が届き、
「ひょっとして、あの子ならこれを喜んでくれるんじゃないか?」
と、ふと思ったわけです。
彼女は高校で知り合った友人でしたが、私が友人と一緒に同人誌などやっていたのを見て、当時からとにかく事細かに作品の感想を伝えてくれていました。
「これってもしかしてこういうこと!?」
「この本のこの話が一番好き!!」
「私は〇〇(私の本名)さんの一番のファンだから!!!」
そんなふうに言ってくれるひとがそばにいる創作が、楽しくないわけがないですよね。
で、そういう信頼関係があったわけですから、お蔵入りになりかけていた私のお遊びの作品でもきっと喜んでくれるはずだと思って(やはり勇気はいりましたが………なにせ古いものだったので)、送ってみたのです。
そしたらやっぱり感想を送ってくれて、途中になっていたその作品も「最後まで描いてしまおうかな」なんて思ったりして。
そうなるとね、もうね、彼女のために描きますよね。
彼女をドキドキハラハラさせるために、おもいきり萌えさせるために、はりきりますよね。
そうしてする創作は、やはりめちゃくちゃ楽しいものだし、いいものができるんです。
自分の描いたものを人に見せるのは恥ずかしいでしょう。ええ。
でももし、あなたの周りに一人でも、「このひとは信頼できる」「私の勇気を受け止めてくれる」と思えるひとがいたら、そのひとには是非ご自分の作品を読んでもらうことをおすすめいたします。
それはあなたの作品を質の高いものに発展させてくれるし、あなたの創作活動そのものをとても楽しいものにしてくれるでしょう。
でもって、やっぱり物語作品てえのは、描いた本人が楽しんでなければ、面白いものなどできるものではないのですにゃー。
それはもう、えぐいくらいに作品は自分の生き写しなわけですから。
こっぱずかしくて当然。「見せるのが恥ずかしい」のは、むしろまともな感覚です。
でもそこをあえて、いっときましょうよ。
この先も描いていたいと、あなたがもし思うのであれば、ね。